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静岡地方裁判所 昭和63年(ワ)8号 判決

原告

金澤真弓

右法定代理人親権者父兼原告

金澤泰興

右法定代理人親権者母兼原告

金澤明子

右三名訴訟代理人弁護士

吉川孝三郎

飯田正剛

被告

今井産婦人科医院こと

今井敏郎

右訴訟代理人弁護士

牧田静二

右訴訟復代理人弁護士

伊藤喜代次

洞江秀

主文

一  被告は、原告金澤真弓に対して七〇三三万九九一三円、原告金澤泰興及び原告金澤明子に対して各三三〇万円並びに右各金員に対する昭和六二年二月二六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告金澤真弓に対し金八〇〇〇万円、同金澤泰興及び同金澤明子に対し各金一〇〇〇万円並びに右各金員に対する昭和六二年二月二六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの各請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告金澤真弓(以下「原告真弓」という。)は、父である原告金澤泰興(以下「原告泰興」という。)と母である原告金澤明子(以下「原告明子」という。)間に出生した長女である。

被告は、今井産婦人科医院(以下「被告医院」という。)を開設し、被告医院を運営している産婦人科医である。

原告明子は、昭和六二年二月二五日、被告医院において、原告真弓を出産した。

2  原告明子の妊娠、入院から分娩までの経過

(一) 原告明子は、昭和六一年六月三〇日、被告医院において、被告から妊娠の診断を受け、それ以後当初は一か月に一度、同年一二月以降は一か月に二度ないし四度被告医院に通院し、被告の定期検診を受けたが、その間身体に全く異常がなく、母児共に健康であった。

(二) 原告明子は、昭和六二年二月二四日午後八時一五分頃、定期的な陣痛が始まったため、午後八時四五分頃、歩いて被告医院に向かい、午後八時五〇分頃、被告医院に到着し、その頃、被告医院に入院した。

原告明子は、右到着後、被告医院の看護婦の内診を受けたが、その際、その看護婦に、子宮口が1.5センチメートル開いている旨告げられた。

(三) 被告は、同日午後九時頃、原告明子を診察し、同原告に対し、「初産なので時間もかかるし、予定日も過ぎているから破水させましょう。」と告げ、人工破水を施行したところ、同原告からは、多量の羊水が流出した。

そして、看護婦は、同日午後一〇時頃から午後一〇時三〇分頃まで、原告明子の病室において、同原告に分娩監視装置を装着したが、同一〇時三〇分に、同原告に異常がない旨告げ、同原告から、同装置をとりはずした。

(四) 被告及び看護婦は、同日午後一〇時三〇分頃から、翌二五日午前〇時一〇分頃まで、原告明子になんらの監護も施さず、これを放置した。

その間、原告明子の陣痛の間隔が狭くなっていったために、原告明子は、横たわっていることができなくなり、正座してその痛みに耐えていた。

(五) 原告明子は、同日午前〇時一〇分過ぎ頃、看護婦の案内に従って、歩いて陣痛室へ入り、ベットに横たわり、被告医院の看護婦の内診を受けたが、その際、その看護婦に子宮口が3.5センチメートルないし四センチメートル開いている旨告げられた。

しかし、被告医院の看護婦は、その後すぐ退室し、原告明子になんら監護を施さなかった。

(六) 原告明子の陣痛は、同日午前二時頃から益々強くなり、二分ないし一分間歇となった。原告明子は、同午前二時四五分頃からは、痛みが増したために、満足に呼吸することもできなくなり、口のまわり、手先、肘から先、足の先などが痺れ、震えも始まった。

(七) 原告明子は、同日午前二時五〇分頃及び同日午前三時頃、看護婦が来室したので、「痺れや震えがきてとてもつらい。」「陣痛が強くなり痛みが増してきている。」旨告げたが、呼吸法を教えたり、元気付けたりするのみで、なんらの措置もほどこさずに退室し、その後午前四時三〇分まで、被告も看護婦も分娩室に姿を見せなかった。

(八) 看護婦が、同日午前四時三〇分過ぎ頃、陣痛室に訪れ、原告明子に内診を施したところ、子宮口は既に八センチメートル開いていた。そこで、看護婦が、同四時四〇分頃、原告明子を陣痛室から分娩室に移し、分娩台に乗せたうえ、原告明子に分娩監視装置を装着したが、同装置は、装着と同時に、胎児の心拍数の異常を知らせる音を発した。そこで、看護婦は、すぐさま、原告明子の鼻に酸素供給の管を挿入して酸素を投与したが、同原告は、既に満足に呼吸できる状態ではなかった。

(九) 被告は、同日午前四時四五分、分娩室に来室し、原告明子にしっかり呼吸するように指示し、原告明子が数回いきむと、原告真弓が娩出した。

3  原告真弓の症状

原告真弓は、娩出直前脈拍が一分間に八〇未満の高度徐脈の状態が六分間持続していたが、仮死状態で出生し、出生時すでに手足を痙攣していたので、同日午前七時頃、酸素マスクを装着され、県立こども病院に転送された。

原告真弓は、現在、頭骨の重積がとれないまま頭囲の発育がなく、脳性麻痺障害を起こしており、左右の足に麻痺が残り、目や耳の反応及び哺乳能力も殆どなく、口内の分泌物を飲み込むこともできない状態であり、その脳障害は、不可逆的なものであって、生涯にわたって重度障害を負ったまま生活することを余儀なくされる状態である。

4  被告の過失

(一) 人工破水を施行した過失

(1) 人工破水の意義と副作用

破水とは、妊娠中、子宮内で胎児及び羊水を包んでいる羊膜が破れ、羊水が流出することをいうが、破水は、分娩末期に子宮口が全開大となって、胎児が子宮から娩出する際におこるのがもっとも自然であって、これを適時破水という。

また、陣痛発来後、子宮口が全開大に至る前に起こる破水を早期破水というが、早期破水のうち、子宮口の開大が五センチメートル以下の場合に起こる破水は、母児にとって危険があり、分娩監視も持続的、かつ厳密にすべきであるとされている。

他方、人工破水とは、分娩を誘発・促進するため、人工的に妊婦に破水を起こさせることをいうが、羊水は、胎児を保護するためのものであるので、それを人工的に流出させると種々の危険、すなわち、臍帯の巻絡・下垂・脱出・圧迫等の危険、分娩が遷延することによる感染の危険、過強陣痛の危険等が発生するので、それを施行するためには、適応と要約を満たす必要がある。

(2) 人工破水の適応

人工破水の適応としては、分娩誘発の必要性がある場合、すなわち、母体疾患の重症化、子宮内環境の悪化、胎児病などのためにその妊娠を継続することが母体あるいは胎児になんらかの危険をもたせる可能性のある場合であるが、この場合には、人工破水をする医学的適応があるとされている。

また、医療側の事情や産婦の希望による分娩誘発の必要から人工破水をすることもあり、これは社会的適応といわれているが、この場合には、要約が厳しく考えられなければならないし、かつ、産婦の承諾が要件であるとされている。

(3) 人工破水の要約

人工破水をするに際しては、胎児の位置が正常位であるうえ、児頭と骨盤に不均衡がなく、通常分娩をさまたげる事情が存しないほか、母体において、分娩準備状態が十分に整っていることも必要であり、具体的には、子宮口が五センチメートル以上開大していること、ビショップスコアが八点以上であること、児頭が固定していることが必要であるとされている。

そして、ビショップスコアとは、子宮頸管成熟度を数値化したものであり、児頭の固定とは、骨盤入り口に児頭の娩出面が一致することをいうが、児頭の固定については、児頭の先端と、座骨棘間線の関係を数値で表現し、児頭先端と座骨棘間線が一致した状態を「○」で表現し、児頭がより下降すると、「+」とし、児頭が下降していない状態を「−」で表現するが、「マイナス2」というのは、まだ児頭の下降度が低く、固定していない状態を意味する。

(4) 被告の過失

本件においては、原告明子の予定日は超過しているものの、それはわずかに三日にすぎず、また、入院時に一〇ないし一五分間歇で陣痛が発来しており、分娩を継続することが母体ないし胎児に危険な状態が発生すると考えられる事情はなかったものであるから、人工破水をするについての医学的適応はなかった。

また、本件においては、原告明子の子宮口の開大は、約1.5センチメートルであって、子宮口開大五センチメートルの要約を充足していないうえ、原告明子のビショップスコアは、合計四点ないし五点であるから、分娩誘発の成功要件とされる八点には至っておらず、また、児頭の位置は、マイナス2.5であって、児頭固定はしていないから、人工破水をするにあたっての要約を満たしていなかったというべきである。

したがって、このように、人工破水をするにあたっての適応も要約もないのにかかわらず、被告があえて人工破水を施行したのであるから、被告の右行為には過失がある。

(二) 適切な分娩管理を懈怠した過失

(1) 分娩監視装置装着等の義務

人工破水には、前記のように、臍帯の巻絡・下垂・脱出・圧迫等の危険、過強陣痛の危険があり、その結果として低酸素症、胎児仮死の生じる危険があるから、分娩中の監視は徹底して行う必要があった。そして、被告医院には分娩監視装置は二台あり、原告明子に使用しようと思えばいつでも使用できる状態にあったのであるから、本件においては、分娩中に分娩監視装置を装着すべきであった。また、仮に、終始分娩監視装置を装着する必要がなかったとしても、定期的に、聴診器等で胎児の心音の計測及び産婦の問診をするべきであった。

(2) 被告の過失

しかるに、被告は、前記のように人工破水施行後午後一一時まで及び娩出直前の午前四時四〇分頃以降分娩監視装置を装着したのみであり、しかもその間被告は、午前〇時に診察したにすぎなかったから、被告の分娩管理には過失があるというべきである。

5  因果関係

(一) 人工破水との因果関係

本件においては、原告真弓は、娩出される直前から前記のような高度な徐脈が発生し、胎児仮死となっており、そのことによって不可逆的な脳障害が起こって、脳性麻痺となった。

ところで、人工破水には、前記のように臍帯の巻絡・下垂・脱出・圧迫等の危険、過強陣痛等の副作用があるうえ、本件においては、臍帯の巻絡・下垂・脱出があったとは窺われるべき事情はないものの、臍帯の圧迫と過強陣痛が生じた可能性があって、そのことが胎児仮死の原因となりうるし、他方、胎児仮死の原因となる事情としては、早産、高年初産の骨盤位、前期破水、児頭骨盤不適合、胎盤機能不全及び羊水過少例などが考えられるが、本件においては、これらの事情があったことが窺える証拠はなく、また、被告側からこれらの事情があったことの主張立証もないから、人工破水が胎児仮死の原因であったことについては合理的かつ高度な蓋然性をもって推認できると考える。

したがって、被告の施行した人工破水と原告真弓の脳性麻痺との間には因果関係がある。

(二) 分娩監視懈怠との因果関係

また、原告真弓は、娩出直前に高度の徐脈であったのであるから、それ以前の段階で、初期の軽度の種々の態様の瀕脈・徐脈が発生していたと推認できるところ、分娩監視装置を装着する等していれば、初期の軽度の段階で低酸素症の発生を予見でき、それに適切な処置をすることができたものと考えられる。

したがって、被告の分娩監視懈怠と原告真弓の脳性麻痺の結果との間には因果関係がある。

6  損害

(一) 原告真弓の損害

(1) 逸失利益 四三一〇万七七五六円

原告真弓は、生涯脳性麻痺、重度精神障害の状態で生きることとなるので、昭和五九年の産業計、企業規模計、学歴計の平均給与額を年額に換算し、平均稼働年数を考慮し、次のとおり算出する。

21万8790円×12×16.419=4310万7756円

(2) 慰藉料 四〇〇〇万円

原告真弓は、仮死状態で出生し、その結果脳性麻痺を起こし、生涯にわたり重度障害のまま生活することとなる。

その慰藉料としては少なくとも四〇〇〇万円をもって相当とする。

(3) 介護料 六六九二万九九〇四円

原告真弓は、仮死状態で出生し、その結果脳性麻痺を起こし、生涯にわたり重度障害のまま生活することとなる。

その介護料として、日額六〇〇〇円として、年額に換算し、平均余命を八〇歳として次のとおり算出する。

6000円×365×30.5616=6692万9904円

(二) 原告泰興及び原告明子の慰藉料 各二〇〇〇万円

原告真弓の前記障害の発生により、原告泰興及び原告明子の被った精神的損害は、金銭的に評価すると、各二〇〇〇万円が相当である。

(三) 原告らの弁護士費用 一九〇〇万円

被告は、原告らに対し、任意に本件賠償義務を履行しないので、原告らは、弁護士吉川孝三郎及び同飯田正剛に本件訴訟の提起と追行を委任したが、その委任に伴う弁護士費用のうち、原告真弓については一五〇〇万円、原告泰興及び明子については各二〇〇万円を相当因果関係のある損害として請求する。

7  結論

よって、民法四一五条ないし七〇九条に基づく損害賠償請求の一部請求として、被告に対し、原告真弓は八〇〇〇万円、同泰興及び同明子は各一五〇〇万円並びに右各金員に対する昭和六二年二月二六日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  同2(一)の事実は認める。

(二)  同2(二)の事実のうち、原告明子が原告ら主張の日に被告医院に分娩のため入院したことは認めるが、その余は知らない。

原告明子が入院した時間は、午後九時一〇分頃である。

(三)  同2(三)の前段の事実のうち、被告が人工破水を施行したことは認めるが、その余は否認する。

人工破水を施行したのは、午後九時三五分頃である。同2(三)の後段の事実のうち、看護婦が、原告明子に分娩監視装置を装着し、その後とりはずしたことは認めるが、その余は否認する。

分娩監視装置が装着されたのは、午後九時五〇分頃から一〇時二〇分頃までである。

(四)  同2(四)の事実は否認する。

看護婦は、午後一一時頃、原告明子を内診したところ、子宮口は三センチメートル開大してており、陣痛も五分毎に二〇秒発来しており、腰痛を訴えるも異常は認められなかった。この後、看護婦は、翌日の午前一時までの間に、数回原告明子のところへ訪れ、その様子を窺がっているし、午前一時に原告明子の所へ訪れた際には、腰痛の訴えがあり、陣痛が三分から五分毎に一五秒から二〇秒発来する状況であった。

(五)  同2(五)の事実のうち、原告明子が病室から陣痛室に移動したこと、そのころ看護婦の内診を受けたことは認めるが、その余は否認する。

原告明子が陣痛室に移った時間は二五日午前一時三五分であり、その際、原告明子の子宮口は三センチメートル開大し、陣痛は三分間歇で二〇秒間発来しており、胎児心音も良好であった。

(六)  同2(六)の事実のうち、午前二時頃から二時三〇分頃にかけて、陣痛がやや強くなったことは認め、その余は知らない。

被告は、午前二時頃、陣痛室にいる原告明子に声を掛けたが、陣痛台で、正座し、無痛分娩法の呼吸をおこなっていたので、内診はせず、勇気付けて退室し、また、看護婦が、午前二時三〇分頃、原告明子を診察した際、陣痛はやや強くなり、胎児心音も良好であった。

(七)  同2(七)の事実のうち、看護婦が呼吸法を教えたことは認めるが、その余は否認する。

被告は、午前三時頃、原告明子を内診し、看護婦も、午前三時三〇分頃、原告明子を診察したが、その際、原告明子の子宮口は六センチメートル開大し、陣痛は三分間歇で三〇秒間発来しており、胎児心音も良好であったし、午前四時頃、診察した際には、子宮口は七センチメートル開大しており、胎児心音も良好であった。

(八)  同二(八)の事実のうち、原告主張の看護婦の内診の際子宮口の開大が八センチメートルであったこと、看護婦が原告明子を陣痛室から分娩室に移したこと、看護婦が原告明子に酸素を投与したことは認めるが、その余は否認する。

原告明子を分娩室に移した時間は、同日午前四時三〇分頃である。また、分娩監視装置のモニターは、装置後、正常であることを示していたが、午前四時三五分頃、胎児心音が一分間に五〇から七〇回の徐脈である状態になったので、看護婦は、インターホンで被告に連絡し、被告が分娩室に入ったが、被告の到着した頃には、胎児心音は徐脈から回復し、一分間に一八〇回の瀕脈を示していたから、徐脈状態にあったのは、最長でも六〇秒程度であった。

(九)  同2(九)の事実のうち、娩出の時間を除いた事実は認め、その余は否認する。

原告明子が、原告真弓を娩出したのは、午前四時五四分である。

原告真弓は、分娩直後啼泣はしなかったが、全身紅色を示し、顔を拭いた際にはそれに対する反応もあり、臍帯の拍動は強く、また、吸引チューブを入れたときも吸啜反射があったため、アプガースコアー(新生児仮死の有無を示す指標の一つである。心拍数、呼吸、筋トーヌス、刺激に対する反応、皮膚色の五項目について観察し、一項目ごとに〇、一、二点の三段階評価で合計一〇点満点として採点する。〇から二点の場合は重症仮死、三から六点は軽症仮死と判定され、七点以上は正常である。)は、正常の八点と評価した。

3  同3の前段の事実は認め、同後段の事実のうち、原告真弓が脳性麻痺であることは認めるが、その余は知らない。

4(一)(1) 同4(一)(1)の事実のうち、前段及び後段の事実は認め、中段の事実は否認する。

早期破水については、その後分娩が順調に進行すれば母児にとって危険なことはない。

(2) 同4(一)(2)は争う。

(3) 同4(一)(3)のうち、児頭と骨盤に不均衡のないこと及び児頭が固定していることが人工破水の要約であることは認め、その余は争う。

人工破水の要約については、産科医の間で種々の見解があるうえ、母体の分娩準備の程度は総合的に判断すべきものであって、数値で画一的に表現しにくいことからすると、その要約については、一律的に、母体の子宮口開大とビショップスコア等の具体的な数値のみで判断すべきでない。

(4) 同4(一)(4)の事実は否認し、主張は争う。

原告明子が、被告医院に入院した際、被告が原告明子に陣痛について質問すると、原告明子は、「朝からずっと腰痛はありますが、痛む時間を区切った規則的な陣痛はありません。」と答えた。その際、胎児は、正常位で骨盤に十分陥入しており、胎児側にも母体側にも異常がない状態であったが、被告は、原告明子には規則的な陣痛の発来がないうえ、原告明子が初産婦であり、軟産道の熟化の程度からして、その後順調に陣痛が発来することについて見通しが立ちにくく、このまま腹緊の状態で放っておくと、子宮筋が疲れてしまい、微弱陣痛となって難産となっても困ると考え、原告明子には、分娩促進のため人工破水をする適応と要約があると判断した。そこで、被告は、原告明子に対し、人工破水をすると確実にお産ができる旨説明したうえ、人工破水を施行した。

このような事情であるから、原告明子には、当時、人工破水の要約と適応があったというべく、被告が人工破水を施行したことには過失がない。

(二)(1) 同4(二)(1)は争う。

分娩監視装置は、胎児の心拍数変動及び子宮収縮の状態とを同時かつ連続的にモニタリングできるものであって、従来のトラウベを使用した胎児心音の聴取方法等に代わって大学病院、総合病院等を中心として近時ようやく普及の段階にいたった装置であるが、分娩監視装置の装着によって、妊婦に肉体的・精神的負担がかかることになるから、分娩の初期から一律・機械的に使用するのではなく、分娩の進行の程度・段階によって装着させることが正しい方法であって、被告が、人工破水を実施したからといって、直ちに、陣痛開始から出産終了に至るまで、分娩監視装置を装着する義務や必要があったととはいえない。

(2) 4(二)(2)の事実のうち、被告が、原告明子に分娩監視装置を装着したのは、人工破水施行直後及び娩出直前のみであったことは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。

被告は、原告明子に対し、前記のように、直接ないし看護婦に命じて、診察及び聴診器による心音の聴取をしているのであるから、陣痛開始から出産終了に至るまで分娩監視装置を連続的に装着していなくとも、胎児の監視は十分であったということができ、被告には、この点においても過失はない。

5(一)  同5(一)の事実のうち、胎児仮死と新生児の不可逆的な脳障害による脳性麻痺との間に因果関係があること、一般的に人工破水が胎児仮死の原因となることもあることは認めるが、人工破水によって原告真弓が胎児仮死となったことは否認する。

確かに、破水後、分娩が遷延した場合、感染や臍帯の巻絡・下垂・脱出・圧迫等の危険が増加するが、本件においては、原告明子が、人工破水が施行された後、七時間という比較的短時間のうちに順調に原告真弓を娩出しており、分娩の遅延はまったくないうえ、過強陣痛が発生したことを窺わせる臨床的事実はなく、臍帯についての異常や圧迫が生じたとは認められないから、人工破水によって原告真弓の脳性麻痺が発生したとは認められない。

(二)  同5(二)は争う。

6  同6は争う。

7  同7は争う。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一当事者

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二原告明子の妊娠入院から分娩までの経過

1  請求原因2(一)の事実、同(二)の事実のうち、原告明子が原告ら主張の日に被告医院に分娩のため入院したこと、同(三)の前段の事実のうち、被告が人工破水を施行したこと、(三)の後段の事実のうち、看護婦が原告明子に分娩監視装置を装着し、その後とりはずしたこと、同(五)の事実のうち、原告明子が病室から陣痛室に移動したこと、そのころ看護婦の内診を受けたこと、同(六)の事実のうち、午前二時頃から二時三〇分頃にかけて、陣痛がやや強くなったこと、同(七)の事実のうち、看護婦が呼吸法を教えたこと、同(八)の事実のうち、原告主張の看護婦の内診の際子宮口の開大が八センチメートルであったこと、看護婦が原告明子を陣痛室から分娩室に移したこと、看護婦が原告明子に酸素を投与したこと、同(九)の事実のうち、娩出の時間を除いた事実については、いずれも当事者間に争いがない。

2  そして、右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められる。

(一)  原告明子は、昭和六一年六月三〇日、被告医院において、被告から妊娠している旨及び出産予定日は昭和六二年二月二一日である旨の診断を受け、それ以後、当初は、一か月に一度、同年一二月以降は一か月に二度ないし四度被告医院に通院し、被告の定期診断を受けたが、その間身体に全く異常がなく、母児共に健康であった。

被告は、昭和六二年二月一七日、二〇日、二三日に原告明子を診察したところ、その週数に比して、子宮頸管の熟化が進んでいないため、それぞれの日に、頸管熟化剤マイリスを注射した。

被告は、昭和六二年二月二三日、予定日がすぎていたため、胎児が原告明子の胎内にとどまっていても支障がないかを検査する必要があると考え、原告明子に、胎盤機能検査及び胎液の検査であるエストリオール検査を施行したところ、異常がなかったため、原告明子に、一週間程度出産が遅れ、胎児が胎内にいても特に支障がない旨告げた。

(二)  原告明子は、昭和六二年二月二四日午後八時一五分頃、実家にいたが、定期的な陣痛を感じたため、実母と共に、被告医院へ向かい、午後九時前頃に同医院に到着した。

被告医院の石上看護婦は、処置室で、原告明子に内診を施したところ、子宮口は1.5センチメートル開大していると診断した。

その際、原告明子の陣痛は、一〇ないし一五分間ごとの定期的なものであった。

そして、同日午後九時一〇分に、原告明子について被告医院への入院の手続がとられた。

(三)  被告は、同日、午後九時三五分頃、処置室で、原告明子に内診を施したところ、子宮口は、三センチメートル開大しており、児頭の位置は、座骨棘間線の上部2.5センチメートルの位置であって、子宮頸管は、通常の半分の長さとなっているものの、かなり硬く熟化がないと診断したものであるが、実際には、子宮口は三センチメートルまでは、開大していなかった。

また、被告は、この時、分娩監視装置を使って、陣痛の発来状況を調べることなく、原告明子からの事情聴取のみによって、原告明子が陣痛として訴える痛みが前駆陣痛に終わり、結果的には順調な分娩とならない可能性もあると判断し、かつ、被告が個人病院の開設者であることから、入院後、原告明子の分娩が順調に進まなかった場合には責任問題が起こらないとは限らないし、他の妊産婦に迷惑をかけることにもなることをおそれ、急ぎ分娩を促進して翌二五日午前中に分娩を終えるため、原告明子に、人工破水を施行することを決め、同女に、「入院していただく以上はお産になってもらわなきゃ困るんで破水しますよ。」とだけ告げ、人工破水の意味、副作用、適用及び要約等について一切説明せずに人工破水を施行した。

(四)  原告明子は、その後、処置室の隣室である病室へ入り、午後九時五〇分頃、石上看護婦に、腹壁にジューサーを装着する外測法によって分娩監視装置を装着されたが、午後一〇時二〇分頃にとりはずされた。この間、胎児の状態及び陣痛の状況には異常がなく、臍帯の脱出、下垂は疑われず、陣痛は五分間歇二〇秒程度に定期的に起こっていた。

石上看護婦は、同日午後一一時頃、病室を訪れて原告明子を内診し、子宮口の開大は三センチメートルと診断し、陣痛は五分間歇二〇秒程度起こっていることを確認した。

(五)  また、翌午前〇時三〇分頃、石上看護婦と交代した大田原看護婦は、同日午前一時頃、原告明子を診断したが、それによると、陣痛は三から五分間歇一五から二〇秒であった。

大田原看護婦は、同日午前一時三五分頃、原告明子の陣痛が強くなったため、原告明子を陣痛室に連れていった。その際、原告明子の陣痛は、三分間歇二〇秒発来していた。

この時、大田原看護婦は、子宮口の開大が三センチメートルであると診断し、児心音をトラウベで聴取して正常であると判断した。

(六)  大田原看護婦は、同日午前二時三〇分頃、原告明子を診断したところ、陣痛がやや強度になっており、児心音は、トラウベで五分おきに五秒間ずつ三回聴取したところ、各一二回、一二回、一一回と正常値を示していた。

また、大田原看護婦は、同日午前三時三〇分頃、原告明子を診断したところ、陣痛は三分間歇三〇秒発来、子宮口の開大が六センチメートル、トラウベで聴取した児心音は正常であると判断した。

(七)  大田原看護婦は、同日午前四時三〇分頃、原告明子を移動ベッドに乗せ、分娩室に移動した。大田原看護婦は、その頃、分娩室において、原告明子に、分娩監視装置を装着したところ、児心音が、一分間に五〇から七〇の徐脈の状態を示したので、急いで原告明子に酸素チューブを装着するとともに、インターホーンで被告医院の四階にいる被告を呼んだ。被告は、同日午前四時四五分頃、分娩室に入ったが、その際には、児脈拍は、一分間に一八〇から一九〇の瀕脈の状態に変わっていた。

その間、児脈拍が徐脈の状態は、六分間程度継続していた。

(八)  原告明子は、同日午前四時五四分頃、原告真弓を娩出した。

その際、原告真弓の身体の色は赤く、筋肉の緊張、臍帯の緊張及び拍動もあったが、産声をあげず、肺呼吸のない状態であった。

そこで、被告は、気管カーテルで原告真弓の鼻腔、口腔、咽頭内を吸引し、背中を叩く等したが、原告真弓は啼泣せず、娩出の一分後には、筋肉の緊張もとれてしまったので、バックアンドマスクや挿管して、酸素を吸入させ、臍帯に、メイロン五ccに五パーセントぶどう糖液5ccを加えたものを注射するとともに、県立こども病院に連絡して入院を依頼し、午前六時一五分、原告真弓を、救急車で同病院に搬送した。

3(一)  〈証拠〉には、二月二四日午前九時三五分に、原告明子を内診した際、児頭の位置は固定しており、〈証拠〉の診療録の該当部分のマイナス2.5の記載は、その意味を表すものであるとの供述部分があるが、〈証拠〉によると、一般的には、児頭の陥入の程度は、児頭先端が座骨棘間線との関係でどの位置にあるかで判定し、座骨棘間線よりも上方にあれば、マイナス何センチメートル、下方にあればプラス何センチメートルで、児頭が座骨棘間線まで下降すれば〇と表現し、〇となった状態を児頭の固定と判定するものであることが認められるから、レントゲンと内診の結果では、数値が若干異なることがあるとしても、被告自身、内診の結果、児頭が座骨棘間線より2.5センチメートル高いと判断していることからすれば、当時、児頭が固定した状態にあったとは到底認められることができず、被告本人の右供述部分は、たやすく信用できないというほかない。

(二)  次に、〈証拠〉には、被告は、同日午後九時三五分原告明子を内診し、子宮口の開大が三センチメートルであると判断した旨の記載と供述があるが、他方、子宮口の開大については、前記〈証拠〉によると、同日午後九時一〇分頃、1.5センチメートルであること、前記〈証拠〉には、陣痛が強くなってきた翌二五日午前一時三五分まで、三センチメートルである旨の記載があること、前記〈証拠〉及び被告本人尋問の結果によれば、二四日午後九時三五分の時点で被告の内診の結果によると、当時子宮頸管は極めて硬い状況であって熟化がまったく進んでいなかったことが認められるうえ、被告自身もその本人尋問の結果中で、子宮口の開大の程度については、正確に計ることは難しい旨供述しているところからすれば、午後九時三五分の内診の際子宮口の開大が三センチメートルであった旨の被告の判断は正確なものとは認められず、〈証拠〉の右記載と被告本人の右供述部分は、にわかに採用することができない。

(三)  なお、〈証拠判断略〉。

(四)  また、〈証拠〉には、陣痛室に入った後も、トラウベないし聴診器によって児心音を聴取されたことのない旨の供述部分があるが、右供述部分は、〈証拠〉に照らしにわかに信用できず、また、前記認定に反するその他の記載供述部分も、供述自体から明らかなように曖昧な記載に基づくものが多く、採用の限りではない。

(五)  その他、本件全証拠中には、前記認定を覆すに足りる証拠は存しない。

三原告真弓の症状

請求原因3の事実のうち、原告真弓が脳性麻痺であることについては当事者間に争いがなく、右事実に、〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められる。

原告真弓は、出生後脳性麻痺に罹患し、出生直後から、昭和六三年八月四日まで県立こども病院に入院していたが、その後、数回入退院を繰り返し、平成元年六月頃には、一〇日間程度危篤の状態で入院したものの、同年七月退院し、現在は自宅で保育されている。

原告真弓は、出生当時から新生児痙攣が続発し、脳の発達が阻害されており、経口で栄養が摂取できず、鼻腔から乳や薬の注入を受け、一日のうち、授乳に一日五回、一時間半ずつ必要であり、一日寝たきりであるうえ、目も見えず、吠えるような声を発するだけの状態であって、平成一年八月八日、身体障害者等等級一級の認定を受けた。

四人工破水を施行した過失

1  人工破水の意義と副作用

請求原因4(一)(1)のうち、前段及び後段の事実については当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められ、〈証拠判断略〉。

(一)  破水とは、妊娠中、子宮内で胎児及び羊水を包んでいる羊膜が破れ、羊水が流出することをいうが、破水は、分娩末期に子宮口が全開大となって、胎児が子宮から娩出する際に起こるのがもっとも自然であって、これを適時破水という。

また、陣痛発来後、子宮口が全開大に至る前に起こる破水を早期破水というが、早期破水のうち、母体が分娩について十分準備された状態において起こる場合は適時破水と変わりないとされているものの、子宮口の開大が五センチメートル以下の場合に起こる破水は、母児にとって危険があり、分娩監視も厳しくすべきであるとされている。

(二)  他方、人工破水とは、人工的に妊婦に破水を起こさせることをいうが、その刺激によって、子宮の収縮を促進し、陣痛を起こしあるいはそれを強める作用があり、分娩を誘発・促進するために施行される産科的手技である。

また、羊水は、妊娠中には、胎児と卵膜表面とを隔てて、癒着による奇型の発生を防止し、胎児の発育と運動を自由にするなどして胎児を保護する効用があるとともに、分娩時には、卵膜下部を徐々に伸展して胎胞を形成し、子宮頸管の開大を円滑にし、産道を潤して胎児の通過を容易にするなどの作用を営むものであるから、それを人工的に流出させると、臍帯の巻絡・下垂・脱出・圧迫等の危険、分娩が遷延することによる感染の危険、過強陣痛の危険等が発生するおそれがあるので、それを施行するためには、母児の状況を的確に把握することはもとより、その適応と要約を満たす必要があるとされている。

2  人工破水の適応と要約

請求原因4(一)(3)のうち、児頭と骨盤に不均衡のないこと及び児頭が固定していることが人工破水の要約であることについては、当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められる。

(一)  人工破水の適応とは、分娩誘発の必要上人工破水を施行するための必要性ないし条件をいうが、その適応には、医学的適応と社会的適応とがある。

医学的適応とは、母体または胎児の危険を避けるために分娩を誘発・促進する必要がある場合をいうのであって、具体的には、妊娠時の母体合併症、重症妊婦中毒症、感染の恐れのある前期破水、分娩予定日を二週間過ぎても分娩発来のない過期妊娠、前置胎盤、常位胎盤早期剥離、胎盤機能不全、血液型不適合妊娠、羊水過多症、胎児の先天異常、子宮内胎児死亡、遷延分娩によって母体に過度の負担がかかる場合等がある。

これに対し、社会的適応とは、計画分娩の必要がある場合、具体的には、墜落産のおそれがある場合、妊婦の希望による場合、医療施設側の事情による場合、休日分娩を避けたい場合、緊急時に諸処置の取り易い昼間に分娩を終了させたい場合等がある。

(二)  人工破水の要約は、人工破水を施行するに際し満たすべき条件であるが、母体が経膣分娩の準備が十分完了し、かつ、児頭骨盤不適合の存在しないこと、子宮破裂のおそれのないことなど母体及び胎児に経膣分娩に耐えられないような事情の存しないことである。

そして、その要約は、子宮口の開大度、子宮膣部の硬さ、頸管の展退で判断される子宮頸管の成熟度、児頭の下降度や子宮口の位置等を総合評価して判断するのが通常であるが、具体的には、まず児頭が固定されていることが必要であり、そのうえで、子宮口の開大度、展退度、児頭位置、子宮頸部の硬度、子宮口の位置などをそれぞれ数量化して加点する形で判断するビショップスコア(内容は、別紙ビショップスコア表記載のとおりである。)を用いることが多く、その方法によれば、各因子平均して成熟していることが望ましく、合計八点以上の場合に、この方法を安全に行いうるものであるから、緊急性が低い場合には、この要件を満たすことが必要であるとされている。なお、頸管の未熟な場合であって、緊急性の高い場合であれば、子宮頸管の成熟を促す方法で、ビショップスコアの点数を上げてから人工破水を施行することが望ましいとされている。

3  人工破水を施行した被告の過失

(一) 前記に認定した原告明子の分娩の経緯によると、妊娠中の母児共に異常を窺わせる事情は存在せず、医学的適応、すなわち、母体・胎児ともに特に分娩を継続すると危険であることが疑われる事情は存しないというべきである。

もっとも、原告明子の分娩が、予定日を数日すぎていたが、医学的には、前記認定のように、二週間以上予定日よりすぎていない場合には特に問題となるものではないうえ、人工破水施行時の前日である昭和六二年二月二三日の検査結果によると、胎盤機能及び胎液に異常がなかったのであるから、このことは、分娩の継続を妨げるべき事情とはならないものというべきである。

なお、被告は、微弱陣痛による遷延分娩によって母体が疲労し分娩に耐えられなくなる危険が存した旨主張するが、〈証拠〉によると、初産婦の遷延分娩は、周期一〇分の陣痛発来時点より三〇時間以上とされており、分娩の経過中に遷延分娩となるか否かを判定する基準としては種々の方法があるものの、どの基準によっても陣痛発来後一定段階まで、触診ないし分娩監視装置によって、陣痛の発作の強さと持続時間、周期、間歇期の子宮筋の緊張度の把握及び内診による子宮頸管熟化の程度の把握等の母体の状態の観察に基づいて判断するものとされていることが認められるところ、被告が人工破水を施行した際には、原告明子の陣痛の経過観察はしておらず、原告明子の主訴のみによって分娩に至るほどの規則的な陣痛が発来していないと判断したこと前判示のとおりであるから、この段階で、微弱陣痛による遷延分娩によって母体が疲労し分娩に耐えられなくなる危険が存したとする被告の判断は極めて不正確かつ粗雑であって、この判断をもってこの時期に人工破水を施行する適応があったとする根拠とはなし難く、被告の右主張は、到底採用することができない。

(二) また、〈証拠〉によれば、原告明子は、分娩が予定日をすぎていたため早期の出産を希望していたことが認められ、また、被告は、個人病院の開設者であるなどの事情から原告明子を入院させた以上早期に、しかも安全に分娩させたいと考えていたことは、前判示のとおりである。しかしながら、原告明子と病院側の双方に早期出産、分娩の希望、事情があったとしても、墜落産の防止等間接的に母体及び胎児の危険をさけるため人工破水を施行しなければならない事情がなかったのであるから、被告としては、原告明子に対し、人工破水の意義や危険性などを充分説明し、その理解と同意を得たうえで施行することが不可欠であると考えられるが、被告本人尋問の結果によれば、被告は、原告明子に対し、通院開始以降人工破水施行時まで、人工破水の意義や危険性などについて説明したことはないことが認められるうえ、施行時にも、前記のように、原告明子に対し確実に分娩を遂行するために破水する旨述べながら施行したにすぎないものであって、特に、原告明子の理解と同意を求めていないことが明らかであるから、社会的適応を理由に人工破水することは許されないというべきである。

(三) 他方、要約について検討するに、前記のように妊娠中、胎児及び母体に異常は認められず、児頭骨盤不適合を疑うべき事情もなかったので、胎児ないし母体に経膣分娩が行いえないと疑わせるに足る事情は存しなかったと判断される。

母体の分娩準備が充分できていたかについては、前記のように、破水時、児頭が固定していなかったと認められるので、この点から、ただちに、要約は否定されるというべきであるが、仮に、被告主張のように、児頭が固定していたとしても、前記認定のように、子宮口の開大度三センチメートル弱(一ないし二点)、展退度五〇パーセント(一点)、児頭位置固定(二点)、子宮頸部の硬さ(〇点)、子宮口の位置不明(〇ないし二点)であって、ビショップスコアは四点ないし七点であるし、子宮頸部の硬さについては〇点であるから、この程度の子宮頸管の成熟度では人工破水の要約は満たされていなかったといわざるを得ない。

(四) したがって、人工破水をするにあたっての適応も要約もないのにかかわらず、被告があえて人工破水を施行したというべきであり、被告が人工破水を施行したことには過失があると判断する。

4  人工破水と原告真弓の障害との因果関係

(一)  胎児仮死と脳性麻痺との因果関係

請求原因5(一)の事実のうち、胎児仮死と新生児の不可逆的な脳障害による脳性麻痺との間に因果関係があることについては当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、前記認定の原告真弓が娩出直前少なくとも六分間徐脈を示していたこと及び娩出時原告真弓が産声をあげず、その後筋肉の緊張もとれてしまったこと、〈証拠〉によれば、胎児について一〇〇以下の徐脈が九〇秒以上続けば重症の胎児仮死となって、極めて危険な状態であること、原告明子本人尋問の結果によれば、原告真弓の県立こども病院の担当医が娩出直前の酸欠による仮死状態が原告真弓の脳性麻痺の原因であると説明していることなどを総合すると、原告真弓の脳性麻痺は、出産時前後の酸欠による胎児仮死状態によって引き起こされたと認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(二)  胎児仮死の原因

(1) 請求原因5(一)の事実のうち、一般に、人工破水が胎児仮死の原因となりうることについては当事者間に争いがなく、右事実に前記認定の原告明子の分娩の経緯並びに〈証拠〉を総合すると以下の事実が認められる。

① 胎児仮死とは、胎児の呼吸・循環器系が機能不全に陥った状態をいうが、その主な原因としては、早産、高年初産、骨盤位、前期破水、児頭骨盤不適合、胎盤機能不全、羊水過少例等がありうるが、本件においては、早産、高年初産、胎盤機能不全及び羊水過少例ではなかったと認められ、また、骨盤位、児頭骨盤不適合を窺わせるような徴候は全くなかった。

また、人工破水によって、胎児仮死の発生する原因としては、臍帯の巻絡・下垂・脱出・圧迫等の危険、分娩が遷延することによる感染の危険、過強陣痛等がありうるが、感染は、通常破水後分娩が二四時間以上遷延した場合に起こりうるものであり、臍帯の下垂・脱出は、通常、人工破水施行後に見られるものである。

② なお、臍帯が巻絡した場合には、通常、分娩直後に、臍帯に異常がみられるし、過強陣痛の兆候としては、分娩開始から子宮口全開大までのいわゆる分娩第一期子宮口開大から胎児娩出までのいわゆる分娩第二期を通じて、分娩が急速に進行し、妊婦に疼痛が強く、顔面の発赤腫脹、チアノーゼ、腹圧の増強等の症状がみられることもあり、墜落産、街路産の原因ともなりうる。

(2) ところが、本件においては、前判示のように分娩は、順調に推移し、人工破水後約七時間で胎児が娩出されていること、人工破水施行直後、原告明子を分娩監視装置で監視した際、胎児心音に異常がなかったこと、娩出時に臍帯は拍動し、何らの異常も認められなかったのであるから、感染、臍帯の巻絡・下垂・脱出・圧迫があり、それによって、胎児仮死が生じたとは認められない。

また、過強陣痛を来たしたかどうかについては、被告は、原告明子に対し、常時分娩監視装置を装着して分娩の際継続的に母体及び胎児の状態を把握し管理していなかったため、明確に確定することはできないが、前示のように、原告明子は、人工破水施行時においては、子宮頸管は硬く、その成熟度は低かったのにもかかわらず、分娩開始後約七時間余りで原告真弓を娩出しているところ、初産の場合、通常、一二ないし一五時間で胎児を娩出するものであるから、分娩の進行が極めて速いというべく、特に、第二期に至っては、通常二ないし三時間はかかるものであるのに、本件においては、子宮口開大八センチメートルの時点から考えても、三〇分足らずで胎児を娩出しているのであるから、子宮の収縮が異常に強く、過強陣痛を来たしていたものと推認するのが相当である。

(三)  以上検討したところに加え、本件においては、過強陣痛を来たしていたこと及び胎児仮死について他の明確な原因が存在すると認められないことなどを彼此総合すると、原告真弓の胎児仮死は、被告の施行した人工破水による過強陣痛によって生じたと推認するのが経験則上相当というべく、〈証拠判断略〉。

五適切な分娩管理懈怠の過失

1  分娩監視装置装着等の義務

(一) 〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認定でき、被告本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は、右記〈証拠〉に照らし信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1)  分娩ないし出産は、一般的に陣痛・腹圧などの激しい労働などによって妊婦の身体に対し種々の変化を与え、胎児に対し物理的な脳の圧迫を加え、陣痛発作時に酸素の供給を減少させることになり、母児双方にとって危険を伴うものであるから、何らかの方法によって、分娩の進行を管理することが必要であることはいうまでもないが、とりわけ、胎児ないし妊婦に特に危険を予想すべき事情、例えば、胎児発育遅延、胎盤機能不全、羊水過多、前期破水、異常妊娠、相対的児頭骨盤不適合等がある場合については、激しい分娩管理が必要であるとされている。

(2)  そして、従来、分娩監視は、筒状の聴診器であるトラウベを妊婦の腹部にあて、五分おきに五秒ずつ三回胎児の心音を聴取する方法で行っていたが、分娩進行中の母児の状態は、極めて短い時間に刻々と進行変化するため、近時は、医用電子工学機器である分娩監視装置によって分娩の進行を監視する病院が増加する傾向にあり、分娩監視装置は、分娩中ないしその前段階において、妊婦に装着して、継続的に陣痛の状態及び胎児の心音等を記録し、妊婦及び胎児の状況を正確に把握することができるという点で従来のトラウベによる児心音の測定に優るが、他方、妊婦の動きを制約するという短所もあり、値段も高価であることもあって、分娩にたずさわるすべての病院等に、監視装置が設備されているとは限らない状況にある。

(二) しかしながら、被告は、前記のように、原告明子に対し、分娩を誘発・促進するため人工破水を施行したものであるが、人工破水には、感染症の危険、臍帯の巻絡・下垂・脱出・圧迫等の危険があるから、被告としては、分娩の進行に応じて、適宜、原告明子に対し、備付けの分娩監視装置を装着するかあるいは頻繁にトラウベで胎児の児心音を確認する等して、母体及び胎児の状況を監視する義務があったというべきである。

もっとも、分娩監視装置の装着するかどうかあるいはトラウベでの児心音の聴診をどの程度行うかについては、担当医が、予想される副作用の発生を念頭におき、妊婦の状況を具さに観察したうえで、判断すべきことであろうが、人工破水には、過強陣痛及び臍帯圧迫の危険もあり、それは、陣痛が増強した段階で問題となるのであるから、被告としては、原告明子の陣痛が強度になった翌二五日午前二時三〇分ころから、継続的ないし断続的に分娩監視装置を装着するかあるいは頻繁にトラウベによって、児心音の聴取をすべき義務があったというべく、しかるに前記のように被告ないし看護婦は、午前二時三〇分頃と同三時三〇分頃の二回トラウベで五分おき五秒間三回児心音を聴取し、その際看護婦が原告明子から陣痛の状況を聴取したほか、同四時三〇分頃、分娩室に入った後、分娩監視装置を装着したにすぎないのであるから、分娩監視を充分果たしたものとはいえず、被告には、分娩監視を懈怠した過失があるといわざるを得ない。

2  分娩監視の懈怠と原告真弓の障害との因果関係

看護婦が原告明子に対し分娩監視装置を装着して、正常に作動した後、すぐに児脈拍が八〇以下の徐脈をさし、それが六分以上継続し、その後は瀕脈の状態となったこと前判示のとおりであるから、胎児仮死の程度は高いというべく、そうだとすれば、それ以前の段階において、軽度ないし中度の胎児仮死を示す一過性の徐脈や瀕脈を起こしていたと容易に推認できるから、仮に、前記午前二時三〇分以降に、分娩監視装置を装着するかあるいは頻繁にトラウベにより児心音を聴取していれば、それらの徴候を早期に察知することができ、したがって、それに見合った処置、具体的には、母体への酸素吸入、時期によっては吸引分娩ないし帝王切開、過強陣痛とわかれば陣痛を緩める薬の投与等の方法をとることによって胎児仮死の状態に陥ることを回避することができたものといわざるを得ない。したがって、分娩監視の懈怠と原告真弓の障害による損害との間には因果関係があると認めるのが相当である。

六被告の責任

以上認定判断したところによると、被告は、原告明子の分娩に際し、担当医師としてなすべき注意義務に違反し、適応も要約もないのにかかわらず人工破水を行い、しかも原告明子の分娩監視を怠ったため、胎児仮死の状態を作出し、原告真弓を脳性麻痺に罹患させたのであるから、その不法行為によって被った原告らの損害を賠償する責任を免れないといわざるを得ない。

七原告らの損害

1  原告真弓の損害

(一)  逸失利益 一八七〇万一一三七円

原告真弓は、前記のように、生涯脳性麻痺、重度精神障害の状態で生きることを余儀なくされ、今後就労の可能性は全くないから、昭和六二年の産業計、企業規模計、学歴計、女子労働者の平均年収額を基礎に、稼働年齢を一八才から六七才までとし、ライプニッツ方式により中間利息を控除して、その逸失利益を計算すると、次の算式のとおり一八七〇万一一三七円となる。

247万7300円×7.549=1870万1137円

(二)  慰藉料 一八〇〇万円

原告真弓は、前記のように、仮死状態で出生し、その結果脳性麻痺を起こし、生涯にわたり重度障害のまま生活することを余儀なくされるので、その苦痛を慰藉するには、一八〇〇万円が相当であると認められる。

(三)  介護料 二八六三万八七七六円

原告真弓は、仮死状態で出生し、その結果脳性麻痺を起こし、生涯にわたり重度障害のまま、常時、近親者の介護を受けて生活することとなると推認されるが、その介護料は、日額四〇〇〇円と評価するのが妥当であるから、女子の平均余命である八一年間余命があると推定し、ライプニッツ方式により中間利息を控除して、その額を算出すると、次の算式のとおり二八六三万八七七六円となる。

4000円×365×19.6156=2863万8776円

2  原告泰興及び原告明子の慰藉料 各三〇〇万円

原告泰興及び原告明子は、最愛のわが子が脳性麻痺となり、生涯障害重度の障害者として暮らさなければならないことによって、多大な精神的苦痛を被ったと認められるところ、その苦痛を慰藉するには、各三〇〇万円をもって相当と認める。

3  原告らの弁護士費用 計五六〇万円

弁論の全趣旨によれば、被告が、原告らに対し、任意に本件賠償義務を履行しないので、原告らは、弁護士吉川孝三郎及び同飯田正剛に本件訴訟の提起と追行を委任し、相当額の費用報酬を支払うことを約したことが推認されるが、事案の内容、訴訟の経過、認容額に照らすと、その支払うべき費用報酬のうち、原告真弓については五〇〇万円、原告泰興及び原告明子については各三〇万円が被告の不法行為と相当因果関係をもつ損害であると認めるのが相当である。

八結論

以上の次第であるから、原告らの被告に対する本訴各請求は、原告真弓について、七〇三三万九九一三円、原告明子及び原告泰興についてそれぞれ三三〇万円及びそれらに対する不法行為の日以降であることが明らかな昭和六二年二月二六日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲で理由があるのでこれを認容し、その余の請求については理由がないので、これを棄却し、訴訟費用について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官塩崎勤 裁判官小林登美子 裁判官水野有子)

別紙〈省略〉

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